Film Scoring
* 番外編 *
2002年「湯布院映画祭」に於いて「日本映画職人講座」での講師として招かれた。
これに先立ち、コメントを寄稿し、また原田眞人監督と宇崎竜童氏からのコメントも頂いたので掲載させて頂いた。


「映画職人講座」にて
持ち込み機材の配線に手間取ったり、レンタル機材の故障などで
ライブ演奏が出来なかったのが残念。

「時間軸の風」 川崎真弘

 随分以前から、湯布院が気になっていた。
もちろん映画祭が行われている事も知っていたし、編集の冨田氏や原田眞人監督も、数々の、時の映画人が毎年参加している事も知っていた。
その湯布院へ今回「職人講座」として呼んで頂いたのは、光栄の極みである。

 そもそも、映画音楽には、決まったフォーマットやセオリーが、あるのかどうか私自身にも判らない、と云うか、恐らく無いのだと思っている。
 勿論、長い歴史の中でオーソリティーと呼ばれる作曲家たちが沢山生まれ、ある種の形態をかたち創り、後世の作曲家たちの礎となっているのは確かだとは思うが、では映画音楽のアプローチに、こうすれば間違いない、と云う手法があるのか? と聞かれれば、そんなモンあったら誰も苦労しとらんワイ!と言うしか無いだろう。 しかし乍ら逆に、禁じ手も存在しないのではないだろうか。
これまでにも、ありとあらゆるジャンルの音楽が、様々な手法によって映画を彩って来た。 監督からの注文もあっただろう、自らのアイディアを披露した時もあっただろう、それと共に偶然の産物も多々あった筈なのだ。
 音楽には型が無いと良く云われる。 それ故に、出来上がった音楽は、作曲家のイメージと監督のイメージとが、必ずしも一致しているとは限らない。 そこに偶然性が生まれる余地があるのだと思う。 なお克つ、観客はまた別のイメージを持ち、別の解釈をそれぞれが持つ。 
 それで良いではないか、押し付ける事も、映画に顕われたもの以上に説明する事もなく。

 映像も音楽もストーリーも、時間軸の上でのみ存在する。
止まった時間の上では、映像は一枚の写真に過ぎないし、何のストーリーも展開しない。
音楽はその時間軸を横切る風なのかも知れない。
爽やかな風、暑苦しい風、乾いた風、湿って重い風、向い風、追い風・・・・
 常に留まらず、吹き抜けてどこかへ消えてしまうが、風を受けた人には必ず何らかの印象や影響を残しているはず。
 映画を観る時、ひたすら音楽に耳を傾けているのはナンセンスだが、ただ風を感じる感性は残しておきたい。

「帰郷」のやすらぎの存在 監督 原田眞人

 映画作りというのは周囲の様々な条件に左右されるので、同じ仲間がいくつものプロジェクトに関わっていくのは希有なことです。 その意味で90年代の約10年を、川崎さんと一緒に映画作りが出来たというのは奇跡的と言ってもいいでしょう。 ひとつの時代を共有できたという感じもあります。
そういうサイクルが近い将来再び訪れることは間違いありません。

 いつもいつも理不尽な条件下で(時間がない予算がないといった)笑顔を忘れずポストプロのハイポイントである音楽作りを、ゆとりとやすらぎの時間にしてくれるのが川崎マジック。
ポストプロのプロセスに彼が存在すること自体、「帰郷」のやすらぎになるのです。
 また、ここへ、到達することができた、無事帰って来れた、陽気に踊ろう、というような・・・。

「ラツキーさん」 音楽家 宇崎竜童

 僕ら音楽仲間の間では「ラッキーさん」と呼ばれている。 由来は知らない。
改めて聞こうと思わないのは、共に仕事を続けて音出しをしていれば、川崎真弘が「ラッキーさん」と呼ばれる訳が判るからだ。
付き合いは永い!
 最初は新宿歌舞伎町のGoGoホール近くの喫茶店。 35年前のコト。 マネージャーとして、ラッキーを新しく結成するグループのオルガン奏者としてスカウトしたのが、付き合いの始まりだ。
その後、カーニバルス、イエロー、カルメン・マキ&OZと、日本のロック史にその名を残す伝説的なグループの一員として活躍。

 再会したのは82年。 ダウンタウン・ブギウギ・バンド解散直後、ソロ活動のスタートには、ラッキーのオルガンが必要だった。 ラッキーが映画やドラマの音楽に興味を持ち、実際に関わり始めたのは、この時からだと思う。
 竜童組でも6年間、共に苦労してくれた。
このグループはO型5人、B型5人、A型1人。 血液型のコトだ。 O型の気まぐれとB型のハマリ込みに一番悩まされたのは、A型のラッキーだった。 夢中になればなる程、皆、勝手なアイディアを提出する。
 この我儘集団に6年もの年月を微笑みながら付き合ってくれたコトを、未だに感謝している。 と同時に、この経験はその後のラッキーの音楽人生に大いなる徳となったに違いないと自らをエクスキューズしておきたい。 何故ならば、僕をはじめとするミュージシャンよりも、映画監督の方が遙かに我が儘なのだから・・・。 あらかた編集された映像に未整理の台詞がのっただけのラッシュに「自由な発想で音楽をのせて欲しい!」などと申し出てくれる監督など皆無である。
 音楽家にも得手不得手のジャンルがある。 クラッシック系の作家にRockを、ジャズ系に民族音楽を、又、その逆を要求しても畑違いだ。 オールマイティーなんて無いんだ。 カットに合わせて、何分何十何秒となると、感覚的なものを優先ばかりはしていられない。 当然、物理的な要素が割り込まざるを得ない。
 しかし、監督は感覚的な表現しか注文してはこない。 無限な、音、リズム、メロディ、楽器、編成、編曲、和音、単音・・・その様々なる要素から注文を満たす音を絞り込まなければならない。
揚げ句の果て、「チョット甘いな!」と溜め息などつかれたら、すべておジャン。 この繰り返しに耐えて、双方の合致をみるまでのストレスを考えると、映画音楽作家の仕事は割に合わない作業だ。

 日本映画は音楽制作に予算を割かなすぎる。 限られた時間内、予算内で総ての注文を充たすには、その作家の力量、アイディア、経験、センスetc。
あらゆる能力が必要である、にも関わらずの現状である。 予算がないなら時間をくれ、時間がないなら予算をくれ、どちらもないなら、まかせてくれ。 映画音楽作家の叫ぶ声が聞こえるか? そんな現状の中。ラッキーは頑張っている。 ラッキーと組んでイイ仕事をしている監督たちがいることを僕は知っている。
 映画やドラマから音楽を抜いたら、どうなる?
音楽は芝居の邪魔にならない程度に、流れていればイイなんて思っている制作者がいたら、呼んで来い。
印象的なメロやリズム、サウンドが画面を引き締め、その映画の価値を高めていることに制作者はどれだけ気付いているだろう。 映画祭やコンクールの各賞を見渡しても「音楽賞」は数少ない。 
報われないよね。
ラッキーの偉大さは、映画を愛し、人を愛しているからこそ、あらゆるワクをはずして、上質の作品を提供し続けていることにある。
未来の日本映画の音楽を牽引する作家の一人として、ラッキーの仕事を見届けていこうと思っている。

寄稿して下さった、原田眞人監督、宇崎竜童さんに、この場を借りて・・・ありがとうございます。


会場では、コンピューターやシンク・インターフェイス、ミキサー
等を持ち込んで「非・バランス」の作業用VTRで解説。

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